言いたい放題

 

さよならが言えなくて

 

 

 「さよなら」を言うのが苦手だ。もう二度と会えないかも

しれない、という永遠の別れを暗示しているようで、つい

他の言葉を代用してしまう。「ごめんください」

「それじゃ、また」。どんな言葉を使おうと別れは別れ

なのだが、一瞬でも悲しみと向き合う勇気がない、

チキン(弱虫)な私なのだ。だが、感情をごまかさず、

きちんと「さよなら」を告げることは、ある意味で

大人の礼儀なのかもしれないと、近頃考えている。

 

 がん医療の現場があちこちで公けになったり、臓器

移植法が施行されたりで、自分の「死を見つめる」こと

がブームのようになった。がん告知を受けるか、延命

治療はどうするか、自分の「生」の一部分として

「死」をどう生きるかが問われているのかもしれない。

チューブを体中につないだまま、あの世に旅立ちたく

はない。考えることは誰しも同じだろうが、果たして

どれだけ実現できるのか。だが、真剣に考え答えを

出しておくこと、そして関わりのあった人たち、

一人一人に感謝と別れが告げられれば。望みであると

共にやはり、周りに対する礼儀なのかもしれない。

 

 別れといえば、日本にいる母が大きな病気をしてから

ここ数年の私の夏は再会と別れの繰り返し。下半身が

殆ど麻痺したままの母を80歳になろうとしている父が

介護する、その実家を見舞うため、世間の夏休みを

利用し帰国する。日本へ帰る前から私の頭の中は、

また別れる時の想像でいっぱいになる。母や父との

短い日常を終えアメリカへ戻る日、私は妙にそっけなく、

歩行器を使い玄関先まで必死で出てきた母に「じゃ、

また」と手を振っただけで家を出た。年毎にこの

そっけなさが増してきたなと後悔した途端、こらえて

いた涙がこぼれ、後はもう――。駅までの道を中年女が

顔をぐしょぐしょにして歩く。そして、

ぐしゃぐしゃになった頭の隅で、またきちんと

「さよなら」が言えなかったことに気づいていた。(aki3)